読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『黒い暴動♡』外野は空気かと思いきや

「外野なんて、空気!」

いいコピーだと思った。

我が道を突き進んで独自のカルチャーを生んできたギャルの映画にぴったりな、素敵なコピーだなぁと思った。

が!

本編を見て、「ここまでのコピー詐欺もなかなかない!」と、がっくり。びっくり。

監督はギャルにロックを感じて魅了されたようなのですが、なぜ、彼女たちがロックなのか?映画からは、そのことを考えているとは微塵も感じられなかった。

ギャルは、今となっては非常~に紋切り型なフレーズだけれど、男性主体で形成されてきた女性の美しさや魅力の規範を、自らスコーンと逸脱して(極端に黒い肌、凶器のように長い爪、パンダみたいなメイクなどなど)男なんて関係ねえ!(それこそ「外野なんて、空気!」ということ)というエネルギーで突き進んできた。

そういった意味で、ギャルの存在は女性へのエールでもあり、私はそんなギャル文化を憧れを持って見ていた。

(でも当然ギャルだって恋愛して結婚して子供も生むわけで、私が学生時代に書いたギャル論は一応ギャルママまでカバーしています笑。割愛するけど)

ギャル、というかコギャルが生まれたのは1997年とされているけど、80年代からこのくらいの時代にかけて、女子高生の援交が社会問題になったり、「女子高生の身体」が性的な記号を持って消費された…とか詳しくは宮台さんの本を読んだりすればいいのだと思いますが笑、ギャルとは、男性社会の中で女子高生という社会的に「弱い」存在がいかにして生き抜くかという「サバイバル術」。(と私は考えていた)

それが彼女たちがロックである所以。だから、ギャルがカウンターカルチャーであることを考えるときに、ジェンダーの問題は絶対に、絶対に切り離せないものだと思う。

そこで、『黒い暴動♡』。

エンタメ映画なんだから、ジェンダーの視点とかそんなオベンキョっぽい要素いりません~と思われるかもしれないけど、どんなにエンタメしてたって、そういう面への理解がきちんとあれば、それは自然と浮かび上がるもの。(最近だと『マッドマックスFR』とか分かりやすい例でしょうか。規模が違いすぎるけど!)

エンタメでいい。いや、エンタメがいい。

なので、私もむしろ、ギラギラゴテゴテ脳天直撃トリップ必至のハイパーアゲアゲギャルムービーを期待していた。

なのに、思いの外アゲアゲでもなく(迷えるアラサーになった3人の現在の描写とか、とにかく思うことありまくりなんだけど書く気力ない笑)、そしてゴリゴリマッチョな野郎ムービーになっていたことが、私にはどうしても許容できませんでした。

この映画のマッチョさを象徴するアウトぉーな場面がラストでトドメのごとく打ち込まれたので、そのことを書きたい。

 

何ですか?「世界で一番あんたが綺麗だ」って。

 

迷えるアラサーの美羽。かつてのギャル仲間と久々の邂逅のあと、風を切るトラックの荷台で運転席のラジオに耳を傾けていると、聞こえてくるのです。ギャル時代に美羽に想いを寄せていた純朴なロック男子、そして現在ミュージシャンとしてラジオに出るまでになったシバタの声が。彼が美羽に曲を捧げちゃうわけです。

 

聞いてください。

 

「世界で一番あんたが綺麗だ」

 

ちょ、ちょっと待って〜!

 

これって、映画のコピーで「空気」って言われているはずの「外野」からの言葉ですよね。シバタって、美羽たちにとって完全に外野ですよね。

ギャルが、ヤマンバと言われるほどに肌を黒くして、目の周りをパステルに大きく縁取って転んだら骨折るんじゃってほどの厚底を履いてきたのは、「男に値踏みされる」ことへの、「男の目なんて知るかぁ〜!」っていう表明でしょ?

なのに、最後の最後に、「あんたが綺麗だ」って言われて嬉しそうに微笑む美羽で映画を終わらせるって。

この時点で、監督はギャル文化を愛してなんかいないって思ってしまいました。だって、結局は監督が「あんたが綺麗だよ」って言いたくて作った映画なんだ、って分かったから。もちろん愛を伝えるっていうのは良いことだけど、その愛が、ギャルという存在を一見崇めているようで無意識的に下に見てるものだから怖いし嫌なのだ。

ギャルの面白さは、そういう言葉を「お前の意見なんて知るかよ!」って余裕で跳ね返すところなのに。

外野の視点で撮られた、マッチョの夢が詰まった映画なんだなと、非常に残念だった。

こういう風に使われる「ロック」って、恥ずかしいなって、心底思ってしまった。

あ、くたびれた厚底ヤマンバギャルが牛小屋で干草あげてるところはめちゃくちゃ最高でしたね。ああいう粋なネタをもっと見たかったな。